アルジェリア人質事件をめぐる悲しい歴史:西洋列強の植民地政策

公開日: : アフリカ

アルジェリアとマリの位置

痛ましい事件が起きました。北アフリカのアルジェリアで、日本人を含む多くの人質がテロリストによって殺されてしまいました。このアルジェリア人質事件が起こった背景には様々な要因が複雑に絡み合った歴史があります。今回は悲しい歴史の始まりである植民地政策についてお話していきます。

化石燃料の力を活用するようになった人類

時はさかのぼって18世紀。人類の歴史を大きく動かす出来事がイギリスで起きます。産業革命です。
当時、イギリスではインドの綿織物が人気でした。しかし、このインドからの綿織物によってイギリスで行われていた羊毛産業は打撃を受けてしまいました。羊毛産業を守るために、インドからの綿織物を規制しましたが、人気は衰えませんでした。そこで、イギリスでは綿織物を自ら作ることにしました。綿織物を欲しがる人は非常に多く、生産が追いつきませんでした。なので、機械を作り、効率的に綿織物を生産する方法を考えだしました。動力源は、はじめ水力でしたが、のちに石炭をはじめとする化石燃料を使った、蒸気を使うようになっていきました。
この化石燃料を燃やしてエネルギーを得ることは、革新的でした。これまで人類は、自然の力(人力のほか、せいぜい水力、牛や馬といった家畜の力)しか使うことができませんでしたが、石炭を燃やすことで、化石燃料の力を使うことに成功したのです。

植民地と西洋列強の貿易関係

動力革命が起こったことによって、生産性は格段に向上し、逆に綿織物のような商品が余るようになっていきました。そこで、イギリスをはじめとした西洋列強は植民地に商品を売るようになったのです。
こうして、以下のような構図ができあがります。

西洋列強と植民地西欧列強と植民地の貿易関係

つまり、植民地から安く原材料を買い、本国で生産し、付加価値のついた商品を植民地に売りさばきました。こうしたことで、植民地から西洋列強は富を搾取した、としばしば批判されます。
一方で、原材料を効果的に輸入し、商品を効果的に売りさばくために、西洋列強は植民地に鉄道などのインフラ(インフラストラクチャー)を整備したため、植民地政策は近代化を促したと評価する人もいます。

植民地となったアフリカ大陸

西洋列強は、植民地政策をすすめ、世界のほとんどを植民地にしてしまいました。アフリカ大陸もご多分にもれず、エチオピアとリベリアを除く全てが植民地にされてしまいました。列強の勢力によって、アフリカ大陸は分割されました。
その後、1960年を中心にアフリカの諸国は独立しますが、列強の勢力関係によって分割された行政区別のまま独立しました。そのため、アフリカの国境はまっすぐな所が多いのです。
結果として、一つの国家の中に複数の民族が存在し、同じ民族が国にまたがって存在するようになり、アフリカが混迷する大きな理由となっています。また、植民地とは名のごとく、支配した国家(宗主国)の人たちが入植、つまり住むようになります。そのため、独立後も旧宗主国の人々の一部はそのまま生活を続け、旧宗主国の企業が進出することも少なくありません。このように、依然として植民地と西洋列強の関係は続いていると考えられます。

植民地政策とアルジェリア人質事件

ここまで話すと、今回のアルジェリア人質事件がよくわかってきます。
アルジェリアもまたフランスの植民地(※1)だったのです。

まず、アルジェリアの隣国であるマリで事件が起きます。マリは、西洋列強の恣意的な区分によって作られた国家で、バンバラ族・マリンケ族など様々な民族がいます。北部では、トゥアレグ族という民族がおり、その一部はイスラム法に基づく国家の設立を求め、反政府組織を形成していました。マリの首都で政治的混乱が起こると、トゥアレグ族の反政府組織は乗じて独立を図ります。
しかし、マリはかつてフランスの植民地でした。なので、首都パマコを中心にフランス人が多く住んでいます。加えて、マリとフランスの経済関係も少なくありません。こうしたフランスの権益を守るために、フランス軍はマリ北部に軍事介入を決めます。
そして、このフランス軍のマリ介入により、反政府組織は隣国のアルジェリアにて今回の人質事件を起こすことで、フランス軍のマリ撤退を迫ったのです。
また、アルジェリアは、独立するときにフランスと戦争になり、多くの血を流しました。アルジェリアは、地理的にフランスから近いこともあり、多くのフランス人入植者がいたため、フランスとしても手放したくない地域だったのです。そのため、今回の事件でもアルジェリア政府はフランスを中心とした欧米諸国の協力を受けたくありませんでした。なぜなら、フランスなどの外部の介入は植民地時代の記憶を呼び戻すもので、多くのアルジェリア人が嫌悪感をいだくためです。
結果として、アルジェリア人質事件はアルジェリアが単独で解決へと向かうことへなったのです。

※1 公式には、アルジェリアは植民地ではなく、海外県と海外領土の中間となっています。1962年に独立しています。

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