中国共産党が隠す天安門事件とは?

公開日: : 中国

Tiananmen Entrance
by Kyle Simourd

1989年の6月4日、中国は大きな危機を迎えました。
天安門事件が起こったからです。

これだけ大きな事件ながら、現在の中国では天安門事件について深く知ることは難しいのです。
なぜなら、中国政府がひたむきに隠しているからです。
例えば、中国国内では「天安門事件」というキーワードを検索できなかったりするのです。

では、この天安門事件、どのような事件だったのでしょうか?
今回は、中国の天安門事件のお話です。

共産党独裁の中国

日本には様々な政党が存在します。
経済政策を重視する政党、福祉政策を重視する政党などなど、多岐にわたります。
そして、選挙によって、支持される政党が政党の考えによって、政治を運営します。

一方、中国では、法律で共産党が政治を運営することが決められています。
つまり、共産党以外が政権を取ることはできないのです。
さらに、現在、共産党以外にもいくつか政党が存在しますが、全て共産党のいいなりです。
そして、新しい政党を作ることはできません。

言論の自由を求めた政治家、胡耀邦(こようほう)

中国では、共産党を大々的に批判することは許されません。
例えば、新聞やテレビで共産党を批判しようものなら、警察に取り締まられてしまうのです。

このような言論の閉塞感を打ち破ろうとした中国の政治家がいました。
名を胡耀邦(こようほう)と言います。

彼は、「百花斉放・百家争鳴」を唱え、人々が自由に発言できる世界を目指しました。
共産党の偉い人でしたが、共産党への批判も許そうとしたのです。

しかし、共産党内部で、胡耀邦の進める政策に危機感を覚えるものが少なくありませんでした。
もし、共産党への批判が大きくなれば、共産党独裁体制を打ち破ろうとする運動がおきるかもしれない。
そうなってしまえば、中国社会が大混乱に陥いってしまう。

このように考えた、共産党の一派は、胡耀邦を失脚させてしまいました。

胡耀邦の死をきっかけに起きたデモ

そして、1989年4月、胡耀邦は心筋梗塞によって亡くなってしまいます。

胡耀邦の死を契機に、胡耀邦を追悼するデモが起きました。
胡耀邦の名誉が回復されなかったためです。

これは政治的に自由な発言を許す、言論の自由などを求めるデモに発展しました。
デモは結果として、100万人規模にまで激化しました。

武力によって弾圧されたデモ

あまりに大きくなりすぎたデモを恐れた中国政府は、軍によってこのデモを抑え込もうと考えました。

そして、実際に、デモの参加者に銃口を向け、多くの人を殺してしまったのです。
中国政府は、死者を300人程度としていますが、欧米などでは数千人規模だと見積もられています。
しかしながら、結果としてデモは収縮していました。

事件後も、中国政府は天安門事件を「動乱」と位置付け、武力によって制圧したことを正当化しています。
冒頭にも述べたように、天安門事件に関する情報は隠されているのです。

そして、事件から25年、中国の若者は事件についてほとんど知らなくなってきています。

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